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単なるノスタルジーからの好奇心です
2009年11月05日 (木) 22:40 | 編集
松井がワールドシリーズのMVPですかぁ。
例の大怪我から始まって今まで何かと苦労したもんね。
不平不満を表に出すことなく地道に努力してる人が報われるというのは嬉しいですね。


さて、昨日の続きというか、、、
オリンピック記念青少年総合センターについて知的好奇心が沸々と湧いてきまして(そんな大層なものではございませんけど)、ネットで調べてみました。
こういう時にインターネットはとっても便利。

すると、東京オリンピックの選手村を建設した土地というのは、大会直前までワシントンハイツという占領軍の住宅であったのですね。
そこには249棟543戸の木造住宅と鉄筋4階建てのアパート14棟が存在しており、それらをそのまま転用して選手村の宿舎にあてることができたのだそうな。

で、オリンピック終了後、249棟543戸の木造住宅部分は取り壊されて現在の代々木公園になり、鉄筋4階建てのアパート14棟の部分がオリンピック記念青少年総合センターの宿泊棟に充てられたとのこと。

だから、当時10歳だったおいらが宿泊したのは旧占領軍のアパートだったわけで、共同トイレを始め、建物の造りの何から何までが思いっ切りアメリカ人仕様だったことも今になって納得。
その当時で既に築25年以上だったことになり、どおりで古めかしい感じだったわけです。
戦後60年以上経った今、そんな建物が現存しているわけはなく、すべて建て替わっているのも納得。


ネット上を探し回ったら、オリンピック開催期間中の選手村の写真がありました。


photo100102.gif


そうそう。おいらが1ヶ月間過ごしたのは、こんな感じの建物でした。
建設されたのは終戦直後ですから、その当時の日本の住宅と比較すれば、冷暖房完備というのは破格の設備であったわけです。


昭和55年頃の正面入口から見た本部棟の写真も発見。


phb2_02.jpg


この建物はオリンピック終了後、青少年総合センターになってから建設されたものです。

ここに大きな食堂があって、朝夕はここで美味しくないメシを食ったのでした。
宿泊棟のトイレの個室の扉の下部が大きく開いているのが落ち着かなくて、この建物のトイレまでわざわざ歩いて来て毎日ウンコをしていたなぁ。


13113cc3360049523_1.jpg


これらの写真を見て当時の記憶がまた甦ってきました。

しかし今や、この建物も建て替えられていて現存せず、、、
時の流れるのは早いですね。


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コメント
この記事へのコメント
すいません。また書き込んでしまいます。
22年前の青少年センターの自分の淡い記憶ですが、トイレに関しては記憶が残ってないんです。
記憶に残っているのは、まずい飯
(残留孤児の人、こんなの食べてるのか可愛そうに 中国人は美味しい中華料理を毎日食べているのだろうという幻想を抱いていた頃)
薄暗い部屋、ベッドを含めた古い装備品等々 まるで監獄のよう。

たしかに寝具の管理については細かく言われた記憶がありますです。

戦前ここは、帝国陸軍の代々木練兵場でございました。
226の将校もここらで収監、銃殺刑になったはず
そんないわく付の場所でございます。
管理部に元軍の方がいて、そーいった管理を厳しくされていた なんていう幻想を抱きつつ・・・

昔は公の場所を使うときは、色々うるさかったですね。
最近は、そんな話聞かないな
国の友愛ですかね。w
2009/11/06(金) 23:03 | URL | 同級生 #-[編集]
監獄ね、、、全体的に薄暗い感じはありましたなぁ。。。
トイレは、改修した可能性が大ですね。あのトイレは日本人には無理だもの。
ちなみに今でもシーツのたたみ方は厳しいみたいですよ。ユースホステルも兼ねているからだと思います。はい。
2009/11/07(土) 06:03 | URL | MG #Qi8cNrCA[編集]
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