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やはり進化しすぎると滅ぶのか
2020年01月17日 (金) 22:19 | 編集
 
長文失礼(しかも難しい)、、、
ネットで色々なコラムを読んでいると、時に「考えさせられる」文章に出会うことがあります。
今回ご紹介する文章は「PRESIDENT Online」で見つけたのですが、もしも国会議員がこんな発言をしたら思い切り叩かれるだろうし、閣僚であれば辞任に追い込まれるような内容です。
おそらくこの筆者もそのことは重々承知しており、叩かれにくいように回りくどく難解な表現をしております。
そこで、本ブログでは抜粋の上、一部改変してご紹介します。(以下抜粋して一部改変して転載)


子育て支援が手厚い「男女平等国家」フィンランドで少子化が進んでいる。2018年の合計特殊出生率は日本を下回った。文筆家の御田寺圭氏は「リベラルな社会は、その『ただしさ』ゆえに社会を維持できない。その一方で、リベラルではない人たちがリベラルな社会の中で勢いを増している」と指摘する――。

多様性・寛容性の名のもとに、「だれもがただしく、だれもまちがっていない」社会を目指した。これによって一時の賞賛や共感は得られたが、しかし西欧的な価値観や道徳観とはけっして相容れない人びとと軒を連ねるような現実を受け入れなければならなくなった。

保守的で排外主義的な価値観に基づく言動が、先進的で人権意識の高いリベラルな人びとにとっては「わるいもの」にしか見えなかった。

いま西欧世界は動揺している。自分たちが広げてきた多様性という名のイデオロギーによって、自分たちの思想的リーダーシップが失われてしまったからだ。西欧的な価値観に相容れない価値観や宗教観を持った人びとに対しても「多様性」に基づいた「寛容性」を示さなければならなくなった。

その課題に直面しているのが、「高福祉」で知られるフィンランドだ。フィンランドの移民人口はじわじわと上昇している。

高い税金を納めているからこそ受けられるはずの「高福祉」。しかし移民や難民は、一度滞在許可がおりれば、国民と同等の生活保護、医療、教育を受けられる。「福祉の取り合い」は移民や難民が「高福祉」に“ただ乗り”しているという不公平感に基づくもので、移民・難民の流入が急増するなか、こうした議論は活発になった。

いかに(多様性や寛容性などの)「政治的にただしい」メッセージ性を有して思想的な勝利を収めようが、最新の統計によればフィンランドの出生率はもはや日本を下回る見込みとなっており、そのような国や社会には人口動態的な持続可能性が乏しい。まさに「思想のための自殺」に他ならないのだ。

「フィンランドでは、個人主義を重んじる傾向があり、多くの人が出産するかしないかを選択できるようになったことで、子供を持つことよりも個人としての幸せを追求する人が増えたのではないかと考えられます。女性も『母親』以外の選択肢をとる人が増えています。自分の人生を子供に左右されたくないと考える人が増えているのでしょう」

リベラリズムは、産む自由・産まない自由をそれぞれ保障し、政治権力がこれに介入することを強く批判する。
だが、リベラリズムが愛してやまない「個人の自由・人権」を担保するのは国であり、その国を維持するのは人口動態であるという致命的な矛盾を内包する。そして国は、自分たちの生殖によってしか維持できない。

ところで、なぜ旧来の価値観や伝統的宗教観では、女性の権利や人権が男性のそれに比べて低く見積もられていたのだろうか――。
「女性が男性並みに経済的・社会的に優位性を獲得したとしても、しかし男性のようには他人を扶養しようとはしないから、生産人口が長期的に持続できず、結果的に女性蔑視的集団に淘汰されてきた」ということだったとしたら――西欧人が自らの思想によって「産まない自由」などと言って子どもを作れなくなり、女性の人権を制限しながら人口を安定的に再生産する思想(代表的な例がイスラム教の道徳的規範に基づくコミュニティであるだろう)との人口動態的な競争に敗れ去ろうとしているのは、その仮説の正しさを示唆するもののように思える。

女性が高学歴化し、社会進出し、活躍する――だれもが賞賛してやまない「政治的にただしい」メッセージを強く放つ「リベラルな社会」は持続しない。子どもが生まれないからだ。子どもが生まれない社会では、いかに立派な思想や道徳であっても継承できない。子孫を残して社会を継承するためには、生殖するしかない。

女性の教育を充実させ、もって社会進出を後押しするようなリベラルな思想は、たしかに人権的な観点では「ただしい」ことはいうまでもないが、しかし人口動態の観点からはその限りではない。
金髪青眼の自分たち西欧人のアイデンティティが、皮肉にも自分たちの思想によって消え去ろうとしていることには気づいたかもしれないが、「産めよ増やせよ」といった前時代的な社会思想を再インストールすることはできない。

多様性とは「たくさんのただしさ」を是認するような思想だった。
だが多様性を肯定する西欧社会には、「たくさんのただしさ」が乱立し、結果的に「ただしさ」が飽和した。自分たちの「ただしさ」をさえ侵襲してくるような「別のただしさ」を持つ集団の台頭を許し、いよいよ耐えられなくなってしまった。

自分たちの思想には致命的な弱点があるからこそ、その弱点を突くような思想が「多様性」によって擁護されてしまうことがアキレス腱となる。

「自分たちに豊かで快適で先進的な暮らしを提供してくれたリベラリズムの思想では、人口が再生産できない」ということに、さすがにほとんどの人が気づき始めたのだ。
急速に科学技術を発展させながら進化を続けてきた西欧リベラル社会が「子どもを増やせない(しかもその空席を西欧リベラリズムに恭順しない人びとにとって代わられる)」という、こんな原始的な理由によって崩壊しはじめているというのは、幾万年と続いてきたホモ・サピエンスの「保守的」で「わるい」システムが、しかしマクロ的には「よくできている」のだと再認識させるものだ。
(転載ここまで)


、、、人類を滅ぼすのは科学技術の発展ではなく思想の進化だった?



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